旅のブログ

ラストエンペラーの世界、故宮博物院(紫禁城)を散策する

はじめに


中国の北京に位置する故宮博物院、かつては「紫禁城」と呼ばれた王宮だ。何故、紫禁城と呼ばれているのか。「紫」は天帝(創造主)が住んでいるとされる北極星を紫微星と呼んだことによる。そして「禁城」とは庶民が入ることを禁止された城と言う意味になる。王宮は堀に囲まれている。

つまり「天帝(皇帝)が住む庶民立ち入り禁止の城」と言う意味か。世界最大の木造建築群(725,000m²)として1987年に世界遺産に登録されている。

城の歴史は初めに元が創ったものを明が1406年から改築し、1421年南京から北京に遷都した後、明朝最後まで皇帝の宮殿として使われた。分かっているだけでも600年以上の長きにわたり存在した建物だ。ただし、明代には一時焼失している。

見どころ

上の写真のように、天安門を入ると先には巨大な二つの門、端門、午門がある。さらに太和門をくぐると映画「ラストエンペラー」で有名な石を敷き詰めた広場が眼前に広がる。正面が太和殿だ、あまりのスケールのデカさに驚かされる。

映画「ラストエンペラー」ユーチューブ動画。

映画「ラストエンペラー」日本版劇場予告

僕が行ったときには、鎖で少し仕切られており、何らかの行事が行われる準備がされているようだった。ガイドさんに連れられて城の中を散策する。

建物は長い年月を経過し老朽化している。しかし、これが新品であればどれだけ凄かったのかは想像できる。行けども行けども建物ばかりだ。そして中庭もそこらじゅうに見られ、木々や草花が上手く配置されている。

皇帝が住んだ居住区、寝室などを見て回った。格調高いが質素な感じがした。皇帝と言えども巨大な籠の中の鳥のような感じを受けた。庶民のような自由はなかったように感じる。

とにかく、歩かなければならない、僕は気づいたら2万歩も歩いていた。歩きやすいランニングシューズでも履かないと足にまめができる。

同じような建物がまるで大昔の街のように続いている。ガイドさんの話によると部屋数は9,999部屋あるらしい。1万と言う数字は「天」の数字で、皇帝と言えども「天」よりも1少なく、「天」を敬っていたと考えられる。

城の周囲は水をたたえた深い堀によって隔てられ、外敵の侵入は容易ではなかったと思われる。1908年西太后がわずか2歳10か月で溥儀を皇帝にしている。しかし1924年の革命によって溥儀は城からの退去を申し渡されている。まさにラストエンペラーだ。

この巨大な木造の建物の中を歩いていると、映画「ラストエンペラー」のストーリーを思い出す。1908年に西太后によって第12代皇帝になった溥儀は1924年の政変によって紫禁城から追い出され平民の生活を経験する。そして61才で亡くなり火葬される。

また溥儀の前、清11代皇帝光緒帝は最近の研究でヒ素によって毒殺されたと結論付けられている。巨大な「紫禁城」の主たちは常に政権争いに巻き込まれ、暗殺・毒殺におびえながら暮らしていたのかもしれない。

そう考えると、権力を持った者たちの哀れを感じざるを得ない。

TATSUTATSU

 

 

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